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愛用機は「おもちゃみたいなカメラ」

木村肇の写真を見ると、田舎の家の物置に入る時の感覚を思い出す。暗くて埃っぽくて、最初は少し怖いのだ。やがて目が慣れるにつれて、暗闇のなかにさまざまな形が浮かび上がる。積み上げられた布団や生活道具、夏に向けて出番を待つ麦わら帽子。

木村の写真もはじめは怖い印象を受ける。「何だろう、これは」と訝しみつつジッと見れば、モノクロの写真のなかに風景が見えてくる。農道を歩く人、撃たれてすぐに捌かれた熊、おばあさんが味噌汁を飲んでいる横顔……。木村自身は口数が多い方ではないが、木村が撮った写真はとても饒舌だ。被写体に対する愛情や祈りなど、写真を通して何を表現したいかが明確に伝わってくる。

一体どんなカメラで被写体に迫るのだろうと興味を持ち、取材の日は愛用機を持参してもらった。

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「これが仕事で使っているカメラ。こっちが作品撮りに使っているものです」。そう言いながら、木村がバッグから取り出したカメラを見て、思わず「えっ、これですか?」と聞いてしまう。何十万円もするハードなカメラが登場するのだろうと思っていたのだが、目の前に置かれたのはコンパクトデジタルカメラとハーフフレーム一眼だ。

木村流の冗談かと思っていたら、インタビューの様子を撮影していたカメラマンが横でボソリとつぶやいた。「木村さんはおもちゃみたいなカメラであれだけの写真を撮るからすごいんだよな……」

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大学の研究が導いた狩猟の民との出会い

木村が写真を撮り始めたのは19歳の時だ。大学で建築学を専攻していたが、勉強に身が入らず、カメラを携えて東南アジアや中東の国々を旅するようになったという。「カメラを持ったのは、簡単にアーティストになれると思ったから。写真を撮れるようになったら仕事がくるのかなと思っていました」。嘘か本気か、木村はいたずらめいた表情でそう話す。

「大学にはあまり真面目に通っていなかった」そうだが、心を動かされる対象との出会いはゼミでの研究がきっかけだった。佐渡島の文化を調べるために現地の図書館に赴いたとき、たまたま手に取った郷土史料集の写真に強く惹き付けられたのだ。掲載されていたのは、いつの時代か判然としない素朴な生活風景。本の内容を読んでみると、たった十数年前に撮られたものだと分かり驚いた。

「その写真が、ずっと頭に引っかかっていたんです。日本にもこういう場所がまだあるのか、いつかこの風景を見に行ってみよう。そんなことを思い始めました」。大学卒業後に写真の専門学校へ入学し、25歳頃から新潟に通って、山村に暮らすマタギと生活を共にしながら撮影するようになった。

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挫折、そして再びカメラを構えるまで

新潟で撮った写真をまとめた『谺 KODAMA』が、2013年のバッテンフォール・フォト・プライズ(※1)で2位に入賞。13年には、アメリカの写真非営利団体Photolucidaが主催するフォトコンテストCritical mass(※2)で「今年のTOP50」に選出された。まだ33歳の若手ながら、海外で高い評価を受ける木村だが、写真家として順風満帆に歩んできたわけではない。

新潟に通い始めて3年目、木村は日本の出版社や新聞社へ売り込みを始めた。しかし結果は惨敗。自信があっただけに、「どこにも相手にされなかった」ことにショックを受けた。ほどなく海外へ飛び出し、1年半ほどファインダーをのぞかなかったという。ところが、「写真のない人生がふいに物足りなく感じた」。

「海外の写真市場に挑戦してみて、それでもダメだったら、写真で食べていくのは諦めよう」。そう覚悟を決めて売り込みを再開した矢先、フランスの新聞社が写真を買ってくれた。

「新聞社のスタッフにアドバイスを受けて、フォトフェスティバルにも売り込みに行きました。そこで知り合った人たちに、写真を批評してもらうためのさまざまな方法を教えてもらったんです。写真団体やギャラリーが開催するワークショップに参加することもその1つ。売り込み以外でも道が開けることを初めて知りました」

※1 ドイツのC/Oベルリンとスェーデンの電力会社バッテンフォールが才能のある35歳までの写真家を紹介し活動をサポートするための賞。
※2 10年の歴史がある米国屈指の写真コンペティション。25人の審査員による一次審査で200人のファイナリストが選ばれ、ギャラリストやキュレーター、エディターなど200人のレビュアーによる二次審査でトップ50が選ばれる。

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自身の過去を収集した『In Search Of Lost Memories』

15年に33冊だけ自費制作した『In Search Of Lost Memories』は、日本のフォトギャラリー(※3)で開催した同名の個展『In Search Of Lost Memories』から生まれた作品だ。写真だけでなく、昔描いたイラストや日記の一部も載せている。「30代になってから、自分の身の周りのことや過去のことに興味を持ち始めたんです。小さい頃に疑問に思っていたことを改めて掘り下げて、1冊の本にしました」

木村にとって自身の過去を掘り返すというのは、生々しい傷口を直視する作業であったようだ。写真展のチラシには、以下のような文章がつづられている。

「自分は人間が亡くなったという事実をどこか見て見ぬ振りをして生きてきた様な気がする。何の変哲もない、しかしながら必ずや自身の、もしくは自身の周りに立ち現れるこの事象を人はどういうプロセスを経て受け入れていくのか。
決して光の当たらない、誰ひとり見ることの出来ない記憶の底に重たく層を成して存在する、作り込まれた記憶。自分が何年もかけて作為的に生み出したそれらの層を小さな爪の先で剥がしていく作業は、即ちその何倍も上塗りされてゆく、『新たに作られた記憶』が同時に発生してしまう事に気付いたのだ」

※3 墨田区・曳舟のフォトギャラリー「Reminders Photography Stronghold」 (http://reminders-project.org/rps/ja/)

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限界集落を撮りにドイツへ

取材を行ったのは、木村がドイツへ旅立つ2週間前のこと。文化庁の新進芸術家海外研修制度を利用して、1年ほど向こうで暮らすという。「ドイツでは2つやることがあるんです。昔の写真の技法を習うことと、東ヨーロッパの限界集落を撮りにいくこと」。新しいテーマに挑戦しようとする表情は、どこか楽しそうだ。

マタギといい、これから取り組む「限界集落」といい、木村はどうも失われゆく風景に心惹かれる傾向があるようだ。考えてみれば、『In Search Of Lost Memories』で収集していた自身の過去も、失われゆく風景といえるだろう。

限界集落をどう撮りたいのかは、あえて聞かなかった。現地に暮らす人びとの生活に入りこむのか、客観的な視点で切り取るのか。プランはあるのだろうけれど、言葉で説明されても完全には理解し得ないと思ったからだ。いずれ木村の写真を見れば分かるだろう。なにしろ木村自身よりも、木村の写真の方が、はるかに饒舌なのだから。

木村肇×コーヒー

バックパック旅行をしていた頃は、アウトドア用の筒型のコーヒーミルとジップロックに入れた豆を持ち歩いていたという。「中国の電車の中には必ずボイラーがあって、そこから熱湯を無料で汲むことができるんです。だから、みんな自分専用の水筒を持って電車に乗るんですよ。僕はよくそこでお湯をもらって、コーヒーを飲んでいましたね。中国の人たちはみんなお茶を飲んでいましたけど(笑)」と旅の思い出を語ってくれた。

TEXT東谷好依/PHOTO田川基成

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