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下町マダム「一押し」の店

靴の卸売り店や工房の多い浅草・花川戸に、レストラン「et vous?(エヴ?)」はある。観光エリアの喧騒から離れた静かな路地裏にもかかわらず、ランチ時はたいてい予約で満員。店内では、浅草界隈のマダムたちがおしゃべりに花を咲かせる。

et vous?のランチの価格は1800円。このエリアでは決して安くはない。ましてや、浅草は飲食の激戦区だ。それでも繰り返し訪れる客が多いのはなぜだろう。そう考えながら、色ガラスの嵌め込まれたet vous?の木のドアを開けると、シェフの岡部勝義が笑顔で迎えてくれた。

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学生服でグラン・メゾンへ

岡部がet vous?をオープンしたのは2013年7月のこと。それまでは浦和のロイヤルパインズホテルに務めていた。ロイヤルパインズに入社したのは、独立前の“最後の仕上げ”をするため。世界的権威のある「テタンジェコンクール」において世界第3位の実績をもつ中宇祢満也総料理長の料理理論を3年間学んだ。

料理人を志したのは、中学2年生の時だという。高校の調理科を卒業し、銀座の「マキシム・ド・パリ」に入社した兄の姿を見て、同じ道へ進むことを決めた。

岡部いわく、「高校生の時からアルバイトをしてお金を貯めて、グラン・メゾンと呼ばれる有名レストランを食べ歩いていました」。同級生のなかでは相当な変わり者に見られていたのではないかと思いきや、「僕の周りはそんな人ばかりだった」と笑う。

「日本画を描いている人や音楽活動をしている人など、やりたいことの明確な友だちが多かったんです。仲間に影響を受けて、絵を描いたりロカビリー音楽にハマったり、色々な文化に興味を持ちました」

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フランスで感じた同世代との差

高校時代に1度、フランスへ行くチャンスがあった。全校の選抜に通り、意気揚々と出かけた2週間の研修旅行。その時の体験が、「目指す料理」を考えるきっかけになったという。

「研修を行ったレストランには僕らと年の変わらない若手の料理人がいて、お互い身振り手振りを交えて会話をしていたんです。その時に彼らが、『自分の住んでいる土地はこういうところで、昔はこういうものを食べていた。今は何が流行っていて、政治はこんなところが問題だ』など、フランスのことを客観的に語るのを見て驚きました。一方で僕らは、日本のことを聞かれても、『ええと、富士山があって……』など曖昧なことしか答えられなかったんです。とても悔しかったですね」

海外の人から見れば、自分は料理人を目指す学生である以前に「日本人」。料理の技術を磨いても、生まれ育った国の文化に無関心でいれば、彼らと同じ土俵には立てないんじゃないか。何か一つでも日本の文化を自分の言葉で説明できるようになりたい。そう思い、岡部は帰国後すぐに茶道を習い始めた。

「始めてすぐに、茶道の所作には日本人の時間の捉え方が表れていて面白いなと感じました。水滴が1滴落ちる音や、お茶をひと口飲み終わる時間など、空間のかすかな動きに耳や神経を傾けようとするのは、日本独特の文化です。そうした日本の良さを知るにつれて、次のお皿がくるまでの間や食べ終わったあとの時間まで、しみじみと味わってもらえるような料理を目指したいなと思い始めました」

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ビジネスマンに転身!

岡部は高校卒業と同時に鎌倉のレストラン「ドゥミ」で本格的な料理修行をスタートした。2000年には修行の場を目黒雅叙園に移し、03年には横浜のレストラン「ストラスブール」に副料理長として入社。20代半ばで、同店のシェフに就任した。

料理一筋の人生かと思いきや、目黒雅叙園に入る前の一時期、営業職として働いたこともあるという。

「18歳で社会に出た頃から、いずれ自分の店を開きたいという願望を抱いていました。でも、どんなに料理の技術があっても、料理しかできなければ店が潰れるよな……と思ったんです」

そこで、英語とパソコンを教えるスクールの営業職に就き、「販売するものに対して興味を持ってもらうためには、どういうストーリー立てをすればいいか」を実践で学んでいった。全国で800人ほどいた営業のなかで50番以内に入ったところで、公私共に師事してきた仲田一途シェフに呼ばれ、再び料理の道へ。以降は、現在に至るまで料理の道をひた走ってきた。

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大事にする2つの考え 素材の扱いと一座建立

これまで、フレンチレストランやホテルなど格式の高い食の場で働いてきた岡部だが、高級な食材や奇抜な料理には興味がない。作りたいのは、高校生の頃に描いた「間を楽しめる料理」。具体的に言えば、「ひとつひとつの素材の味を認識しながら食べられるような料理」だという。

「たとえば、レストランで魚料理を頼んだとしますよね。旬の魚にクリームソースやビネガーソースがかかっていて、ワインとの相性もいい。けれども、どんな味の魚だったかと聞かれたら、『あれ?』と考えてしまうものが多くないでしょうか。どんなにおいしい料理でも、素材が持つ味が活かされていないのはもったいないなと思いました」

岡部が素材の扱いに加えて大事にしているのが、茶道の「一座建立」という考え方だ。

「自分がもてなしたことに対して皆が感動してくれて、その様子を見て自分もまた感動する。そのように、場が喜びで一つになるのが一座建立です。僕はこの店をもてなしの場と捉えて、どうしたらお客さまが心地よく過ごせるかを一生懸命考えます。そのもてなしにお客さまが満足してくれるのが、僕の何よりの喜びだし、やり甲斐に繋がります」

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さて、その味は……

百聞は一食にしかず……というのは食い意地の張った自分への言い訳だが、後日、母を伴ってet vous?を訪れた。岡部がこだわって買い付けた益子焼きの皿(※)に、色鮮やかな野菜が映える。人参を口に入れた瞬間、その甘みに驚いて、2人同時に「わあっ!」と感嘆の声を上げてしまった。

ふと横を見ると、窓の外からユニークな置物がこちらをのぞいている。こうした仕掛けも、岡部流の「もてなし」だろう。その日は店を出た後も、もっぱら次に食べたいものの話ばかり。下町のマダムたちが繰り返し訪れたくなるのも納得だ。

※ 生まれ育った栃木県の代表的な焼き物である益子焼きの皿を使用するのが岡部のこだわり。人間国宝の島岡達三氏の跡取である二代目島岡製陶所所長・島岡桂(ケイ)氏の器をはじめ、生方由香氏、長谷川風子氏の器を揃えている。

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岡部勝義×コーヒー

「et vous?の味をお宅でも楽しんでほしくて、今年からチョコレートの販売を始めました」。そう言いながら岡部が味見をさせてくれた「チョコレートバー」は、コーヒーに合うようにPASSIONEと共同開発した商品だ。口に入れるとスーッと溶けて、チョコレートを食べたとき特有のずっしりした重さがない。その秘密は、バターの代わりに白ごま油を使っていることにあるという。「バターをたっぷり使うと口当たりはよくなりますが、子どもやお年寄りの胃には負担が大きくなってしまいます。et vous?は家族3世代で楽しめるレストラン。コーヒーに合うことに加え、家族みんなで安心して食べられることも考えて、体の負担が少ない白ごま油を使用しました」

TEXT東谷好依/PHOTO田川基成

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